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裏話1 初めの「一」ichiはインバウンド向けだった

hudemojifirststep

更新日:2022年11月11日

私が漠然と筆文字を仕事にしたいと思ったのは20代。名古屋市の栄で日本語教師をしていた私は名古屋にも外国人が増えてきたことを実感していた。

きっと海外の人には書道というものが新鮮に感じるに違いない。ぜひ挑戦してもらいたい。

しかし、どのように・・・。

20代ゆえ経験も実績もない私には何も浮かばなかった。

「一」ichiを書く

自分の名前を漢字で書こう、好きな文字を書こうなど横切る企画はどれもどこかで見たようなイベントで、自分自身がワクワクすることはなかった。



会社員と日本語教師をしながら展覧会活動をしているうちに「線」に対する思い入れが強くなり、そこに込められた作者の思いやその時の気持ちなどを考えて作品鑑賞をするようになった。

さらに子供の展覧会の審査の手伝いをするうちに子供のエネルギーに満ち溢れた線に感動。

何なんだ!この線から感じるパワーは!!

とは言えまだ形にはならない私の思いは30代を越えても続いていた。


その2へ続く。


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